2017年05月
2017年05月31日
2017年05月30日
2017年05月29日
第17回を数える『パラカとハワイを愛する者の集い』
通称『パラカ・パーティ』は、21:00開催にもかかわらず
立ち見まであり、大盛況でした。感謝!
おまけに遅い時間にもかかわらず、みなさま
お食事していただき、感謝!
おかげさまで、トリオライブはほぼ耳でのみの鑑賞・・・
じっくり観たかったぜ。
KaMokuさんとTsuruさん、最高でした!
Sandiiさんは、初来店!
しかも歌までご披露頂きアラニパワー炸裂なのである。
素人じゃないんだから、普通はうたってくれないよ。
私がSandiiを知ったのは1987年ジャマイカのいちばん大きな
「サンスプラッシュ」って屋外フェスに出演した初の日本人
サンディー&ザ・サンセッツを知った時であり
もちろんCDも持っている。
じつはSandiiはカウンター越しに私の前に座っていたので
彼女がふとした瞬間に「ヤーマン!」とつぶやいたのを
聞き逃さなかったぞ。あはは。
どこかにジャマイカの魂を持っているのだろう。
さて、ボーカリストサンディ。
PAをさわってるからわかるのだが、やはり
彼女はボーカリスト。圧倒的にマイクへの
音の乗り方が違う。しかもCDで聴くよりも
はるかに素直な歌い方で爽やかなのである。
クムフラでもあるのでうたいながらも
ハンドモーションが入り、それがまたうつくしい。
NHKがハワイを特集するとかならず出演のある
アラニさんとサンディ。
国営放送が認める二大ハワイアンアーティストが
目の前なのである。凄い事。
会場にいた人は相当にラッキーであり、この先一年は
宝くじを買っても当たらないと思うぞ。
2017年05月26日
2017年05月25日
2017年05月21日
Tomoko Seki『Mellow Blue 〜message from nature』を聴く。
いわゆるジャケ買いであるがジャケはシャケでもシャチでもなく
イルカなのであり、アコースティックギターのインストゥルメンタル。
なかなかの癒し効果。音も良い。
ほんとうに最近はアコースティックギターの音色を
じょうずに拾えるのだなとつくづく感心してしまう。
そんな時に同時に思うのはサイモンとガーファンクルだ。
彼らのサウンドのハーモニーはすばらしいが
ギターの音となるとからっきし駄目でもう残念としか言いようがない。
それは意図して造られた音なのかも知れないが
私にとってはフラストレーションのもととなる。
このアルバムくらいにキレイに録れてたら、たぶんもっと
彼らのサウンドに触れる機会は多かったはずだ。
つい脱線したが、せきともこ、良いよ。
2017年05月20日
2017年05月19日
2017年05月14日
滋賀の山中、新緑の中を走っていくと時折
紫色が目に入り、こころうばわれる。
「藤のようなお花が高いところに咲いてるのですが
なんていう花なのですか」と聞くと
「フジやな。ヤマフジや」
花鳥風月。
そういった美しい自然を感じられるってのは
ほんとうにたのしい。
ヤマフジ(山藤)は野藤(ノフジ)ともいうらしく
季語としても機能するようだ。
個人的には語感的に「のふじ」と呼びたい。
どこか可憐で芯の強い女性のようですてきではないか。
ちょっとした色彩が、見慣れた風景を
ガラっと変えてしまうから不思議。
藤ってのは棚がなくても良いんだ、などと思っていたら
どうやら種類が違うようで、納得。
夢は夜ひらく藤は圭子であり、さらに違う種類である。
2017年05月11日
2017年05月10日
Bob Marleyは私にとってロックミュージシャンだ。
いまだにレゲエをジャマイカの民族音楽のように
考えている人が多いが、その歴史は浅く
1970年代にうまれた音楽なのであり
まだ半世紀にもおよばない。
したがってジャマイカ生まれだが民族音楽ではない。
たらればなどはないけれど、もしも
Bob Marleyという人が存在しなかったら
レゲエという音楽はジャマイカだけの
特殊な音楽だったかもしれない。
世界100か国以上の留学生が集う学校出身の若者に
かつてインタビューした時に、文化祭などで
盛り上がれる音楽って何?と聞くと、迷わず
Bob Marleyだと答えた。
今や地球規模の存在なのである。
5月11日は彼の命日。
アフリカのコートジボワールにアルファ・ブロンディという
レゲエミュージシャンがいる。彼の曲の中でも
Bob Marleyの訃報にふれた時の感傷を歌った曲があり
その『Mystic Night Move』という曲を紹介したい。
なんともせつなく、胸がしめつけられるのだ。
2017年05月09日
「ロックだよね」とか日常会話で使ったりする。
それはポピュラーミュージックにおいても
民族音楽に対しても、さらに言えば音楽を超えて
発言や生き方に対しても用いられる。
ある日音楽を熱く語っていた時、それは
ロックなのかそうでないのかという話になった時に
さて、そもそも彼と私の中で「ロック」は共通言語なのかという
素朴な疑問が顔をもたげたのである。共通認識がなければ
ロックを語っても意味のない空虚な時間なのである。
その夜、ロックを定義しようと試みた。
まずはwikipediaをはじめとしたネットの情報で
カンニングさせてもらおうと思ったが
どこにも定義はされてない。つまりひと言で
簡単に言い換えられる日本語がないのだ。
「ロックな生き方」で検索してみると、もう
これが目を覆いたくなるような幼稚な言葉の羅列であり
とうてい受け入れる事ができない。たとえば
破壊的とか破滅的だとか我欲のような意が多い。
じゃなんだ。ビートルズやエルヴィスがそうなのか。
いえいえ建設的で創造的で大衆をしあわせにした。
まったくもって真逆なのである。
自分で考えるしかなくなった。
こんな単純な「ロック」ってことばが、である。
ふーん。
なんて云ったら、いちばん伝わるのだろう。
ブレインストーミングから始める。つまり
ひとつでも多くの関連する連想できる言葉を拾う。
それらを入れ替えたり混成したりしてみる。
自分にとってロックってなに?的にも考える。
数日考えた。
『現状打破に対する熱いこころ』をロックを定義することばとする。
松本人志も青山繁晴も桜井よしこもかわぐちかいじも
ロックンローラーなのである。それが音を介した
表現者であるならばロックミュージシャンだ。
ハワイのNa Palapalaiも私にとってはロックの人たち。
1950年代のロカビリーを発祥とするロックは反体制であり
若者の文化だったが70年を経てそれは若者の特権ではなくなったのだ。
『現状打破に対する熱いこころ』を持ち続けられたものだけが
本物として生き残る。ふりかえってみれば、そういう人が好きだ。
ロックで検索してたらこんな画像が出てきたが
ここにロックは感じないので、そこんとこよろしくである。
ドッペルゲンガー。
2017年05月06日
2017年05月05日
GWってことで、のんびり
ひさしぶりに読書である。
この本はずっと課題だったのだが
なかなか手強くて読み始めると
いつの間にか眠っていて
また翌日読み始めるのだが
おなじ部分を読んでると
夢の中に誘われ進まないのだ。
なのでもう本棚に仕舞い込み
いつか読むリストと化していた。
ハワイの歴史。
知れば知るほどに、知らなくても
良かったのではないかと思える事もありつつ
この著者のように良い部分も悪い部分も
包み隠さず客観的に書いてくれるというのは
やはりありがたい事なのである。
どうしてこの本を紹介したいと思ったかと言えば
著者が「見返りを求めない善行」を「アロハスピリッツ」と定義し
それは言い換えれば「陰徳」だと言っていて
それが、すっと入ってきたからだ。
ひさしぶりに読書である。
この本はずっと課題だったのだが
なかなか手強くて読み始めると
いつの間にか眠っていて
また翌日読み始めるのだが
おなじ部分を読んでると
夢の中に誘われ進まないのだ。
なのでもう本棚に仕舞い込み
いつか読むリストと化していた。
ハワイの歴史。
知れば知るほどに、知らなくても
良かったのではないかと思える事もありつつ
この著者のように良い部分も悪い部分も
包み隠さず客観的に書いてくれるというのは
やはりありがたい事なのである。
どうしてこの本を紹介したいと思ったかと言えば
著者が「見返りを求めない善行」を「アロハスピリッツ」と定義し
それは言い換えれば「陰徳」だと言っていて
それが、すっと入ってきたからだ。