2009年09月20日

常に非暴力の立場であるからして、新月の夜に祈るのだ

8cb48f1d.jpg「グラントリノ」を観た。
クリント・イーストウッドはMr.America だが
最後の西部劇と称する「許されざる者」から
作風が変わった。銃を持つヒーローから
暴力映画を撮りつつも、アンチ銃社会を
訴え続けているのである。
やるせない映画だが、私が主人公ウォルトでも
たぶん同じ事をしたと思うのである。
暴力は暴力で解決できないものであり
新たな暴力を生むだけだ、という
至極当たり前のストーリーの中に
キラリと光るセンスがある。

人は、それぞれの役目の中でより良い未来を創造する事に
情熱をかけるものであり、「許されざる者」が1992年の作品
そしてこの「グラントリノ」が共通して言ってる事は
「武器なんて簡単に持っちゃいけない。人を殺したらその分だけ
ずっと苦しむ事になる、そしてさらに新たな暴力を生む」
そういうことに集約されるのであり、彼ほど影響力のある
映画界の成功者が訴えても、アメリカの銃社会は
現状を改めようともしないのは不思議である。
たった200年しか歴史や文化を持たない国であり
原爆を投下できる、勇気のあるお国柄であるからして
至極当然なのかも知れないが。

物語に拳銃が登場した以上、その拳銃は発射されなければならない
タマルのことばを借りるまでもなく
その国に拳銃がある限り、その拳銃は一瞬にして尊い人の命を奪うのだ。

もうすぐハロウィンだが、名古屋の服部君という少年が
ルイジアナ州留学中にハロウィンを満喫しただけの事で
人種差別の狂った銃が彼を撃ち抜き、その家族の人生をも
ズタズタにした事件は私の中では、いつまでも風化しない。
折りしも「許されざる者」の作られた1992年の出来事だからだ。
そろそろ「We can Change!」でもいいのではないのか亜米利加。

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