2017年05月09日

Rock'n'Roll

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「ロックだよね」とか日常会話で使ったりする。
それはポピュラーミュージックにおいても
民族音楽に対しても、さらに言えば音楽を超えて
発言や生き方に対しても用いられる。

ある日音楽を熱く語っていた時、それは
ロックなのかそうでないのかという話になった時に
さて、そもそも彼と私の中で「ロック」は共通言語なのかという
素朴な疑問が顔をもたげたのである。共通認識がなければ
ロックを語っても意味のない空虚な時間なのである。

その夜、ロックを定義しようと試みた。
まずはwikipediaをはじめとしたネットの情報で
カンニングさせてもらおうと思ったが
どこにも定義はされてない。つまりひと言で
簡単に言い換えられる日本語がないのだ。

「ロックな生き方」で検索してみると、もう
これが目を覆いたくなるような幼稚な言葉の羅列であり
とうてい受け入れる事ができない。たとえば
破壊的とか破滅的だとか我欲のような意が多い。
じゃなんだ。ビートルズやエルヴィスがそうなのか。
いえいえ建設的で創造的で大衆をしあわせにした。
まったくもって真逆なのである。

自分で考えるしかなくなった。
こんな単純な「ロック」ってことばが、である。
ふーん。
なんて云ったら、いちばん伝わるのだろう。
ブレインストーミングから始める。つまり
ひとつでも多くの関連する連想できる言葉を拾う。
それらを入れ替えたり混成したりしてみる。
自分にとってロックってなに?的にも考える。
数日考えた。

『現状打破に対する熱いこころ』をロックを定義することばとする。

松本人志も青山繁晴も桜井よしこもかわぐちかいじも
ロックンローラーなのである。それが音を介した
表現者であるならばロックミュージシャンだ。
ハワイのNa Palapalaiも私にとってはロックの人たち。

1950年代のロカビリーを発祥とするロックは反体制であり
若者の文化だったが70年を経てそれは若者の特権ではなくなったのだ。
『現状打破に対する熱いこころ』を持ち続けられたものだけが
本物として生き残る。ふりかえってみれば、そういう人が好きだ。

ロックで検索してたらこんな画像が出てきたが
ここにロックは感じないので、そこんとこよろしくである。
ドッペルゲンガー。

rock

budoubatake at 19:26コメント(0)トラックバック(0)元気  

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