2019年12月25日
鍵っ子
よくみんな「さびしい」とか言うけど
聞くたびに、私にはその気持ちがよくわからない。
誰か特定な人が居なくて寂しいという気持ちはわかるが
漠然と「さびしい」という感情は
持ち合わせてはいないのだ。
過日、お客様とカウンター越しに話してて気付いた。
私は小学生になってから、母親はパートに出てて
いわゆる鍵っ子だった。当時の鍵の色や形を
今も鮮明に覚えているくらいだ。
学校から帰っても誰も居ない伽藍とした空間に
「ただいま」を言う幼少期が「さびしい」を
感じさせないメンタルにしたのかも知れない。
鍵っ子って今は聞かない言葉だから死語なのかな。
でも、今思い出すとあの当時の鍵。
今の時代から考えたら、そうとうにチャチで
針金一本で軽く泥棒に入れたのではないのか。
半世紀前の平和な時代。